初日(5月24日)に開かれた、田島篤さんがサロンでのお話を纏めてくださいました。何ものも恐れず言い切れる自信と姿勢に貫禄を感じます。(鈴木工務店 畑典子)
絵画の世界では、20世紀半ばに新しい素材としてアクリル絵の具が開発されたことで、色々な方面で活用されているが、基本的なものに大きな変化は見られない。
しかし写真の世界では、銀塩時代からデジタルへと大きく変わってしまった。
その結果、だれでも簡単にシャープできれいな写真が撮れるようになってきた。
このようなデジタルカメラの発達が、自然と絵画の構図を決めるときにも影響してきている。
例えば、望遠レンズで切り取ったような構図は典型的な例ではないだろうか。
さらには、かっては現場に何日も張り付いて大きな絵を仕上げる画家の姿に感動したものであったが、これもカメラの大衆化によって必要ではなくなってきた。
一部で小品を現場で即興的に描く、淡彩画やペン画は健在であるが。
絵画を鑑賞する側では、今だに現場主義的な目で鑑賞し勝ちであるが、プロの画家たちは、カメラを活用するだけではなく、パソコンソフトを利用して抽象的な絵画を制作したり、投影してデッサンしたり、さらにプリンターを利用して写真撮影した画像を拡大したりと、色々な手法を用いて他の人との差別化をはかっている。
しかし公募展などでは、審査する大先生方が、そのような新しい手法を見抜けない光景を目にする。
日本では、戦後長い間”印象派”絵画が一般的に好まれてきたが、鑑賞する側も、この大きな変化を受け止めて鑑賞することも必要ではないだろうか。
もっとも、審査する立場にある先生方でさえ見落としてしまうほど、今日では多種、多様な表現方法を追求しやすくなってきたといえる。
デッサンは、単に鉛筆やペンだけで試みるのではなく、その他にも駆使できる素材が、知恵をしぼれば限りなく存在する時代になってきたといえる。
機会があれば、その辺りのからくりにもふれてみたいと思っている。
田島篤